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128件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2017-04-05 第193回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

私の記憶では、かつては住友化学とか、でっかい会社が、日本窒素とか、肥料をつくっていたはずなんです。そういうところがやめていったんですよ。大きな原材料だけで、小まめな対応は小まめな、そこそこの、中ぐらいの企業がつくったらいいんじゃないですかといって、まさに見えざる手が動いてそうなっていった気がするんですよ。  片方で多過ぎるのはいけないと言って、片方で、例えば肥料が四社になったらどうするんですか。

篠原孝

2016-11-22 第192回国会 参議院 環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員会 第8号

原因は、新日本窒素肥料が海に廃棄した廃液中のメチル水銀魚介類で生体濃縮され、これを食べたことにより起こった。被害の拡大を防ぐ機会は何度もありました。  ざっくり振り返ります。一九五三年頃から猫が死に至る奇病が相次ぐようになった。三年後、五六年五月、原因不明の奇病人間に対して多発しているという報告病院から水俣保健所に入った。これが水俣病公式発見とも言われていますよね。

山本太郎

2016-03-23 第190回国会 参議院 環境委員会 第3号

ただ、やっぱり環境問題の一つの教訓というのは、例えば水俣病なんかだって、これ、今ではもうチッソが、当時の名前でいう新日本窒素肥料という会社が出したまさにメチル水銀原因で多くの人たち被害を受けたということは明らかなわけですけれども、途中の中ではいろんな説があったわけですよね。それこそ風土病じゃないかとか、若しくは旧海軍が投棄した爆薬じゃないかとかいろんな説があったわけですけど。  

水野賢一

2015-05-15 第189回国会 衆議院 環境委員会 第5号

当時、新日本窒素肥料水俣工場からメチル水銀を含む工業排水が流されて、そのメチル水銀を蓄積した八代海の魚介類を摂取した沿岸部の住民が主に被害を受けました。聴力とか視覚障害言語障害、手足の震え、しびれ、運動失調といった症状がありました。  これは、四〇年代の初めごろから発生してきたんですけれども、五六年に有機水銀中毒公式認定されるまで、原因不明の奇病というふうに呼ばれていました。

篠原豪

2011-10-27 第179回国会 参議院 環境委員会 第2号

例えば水俣病の例なんかを見ても、水俣病というのは早い段階からチッソ、当時の新日本窒素肥料ですよね、そこの排水に含まれる水銀原因じゃないかという指摘は早くからあったんだけれども、一方で、同時に、例えば風土病じゃないかとか、若しくは旧海軍が投棄した爆薬原因じゃないかとかいろんな説があって、結局国がチッソの排出が原因だというのを認めたのは、もう公式発見から、病気が公式に発見されてから十二年もたってからであって

水野賢一

2006-09-05 第164回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号

湧水町の吉松区の洪水について、流下能力向上のために問題になっている狭窄部阿波井堰ですが、ここの点について聞きますと、水利権発電目的日本窒素に設定をされている。この堰の建設当時、水利権に関して窒素肥料工場を地元に建設するということを条件に契約が締結をされた。そういう前提で国は水利権を設定したんだけれども、その条件が今日まで守られないで来ているというお話を伺いました。

仁比聡平

2006-09-05 第164回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号

政府参考人門松武君) 御指摘水利権でございますが、大正六年に窒素肥料製造のための発電ということで、日本窒素肥料株式会社が、鹿児島県知事、このころ川内川の管理者鹿児島県知事でございましたので、その知事の方にそういう目的で申請し、許可が出たものでございます。その後、昭和四十二年の更新時に目的をただ単に水力発電ということに変えてございます。  以上でございます。

門松武

1991-12-03 第122回国会 衆議院 環境委員会 第2号

日本窒素と言っておりましたが、あのアセトアルデヒド生産を始めたのは昭和七年です。そのとき二百十トンで生産を始めておるわけでございますが、昭和十年代にもう既に魚介類に異変が起こっているのです。昭和十六年、太平洋戦争が始まったときにもう人間被害が出たという記録もあります。昭和二十年代になりましたら、水俣湾周辺魚介類が腐って悪臭を放ち始めております。

馬場昇

1991-12-03 第122回国会 衆議院 環境委員会 第2号

それで、その文書には、水俣病の「原因といわれている魚介類中の有毒物質有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑点があり、従って、一概に水俣病原因を新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水に帰せしめることはできない」と記載があると聞いているのですが、それは事実でしょうか。     〔鈴木(恒)委員長代理退席細田委員長     代理着席

寺前巖

1991-12-03 第122回国会 衆議院 環境委員会 第2号

織田説明員 その文書の内容は、申し上げますと、「当省としてはこ当省、通産省のことでございますが、「現在までのところその原因といわれている魚介類中の有毒物質有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑点があり、従って、一概に水俣病原因を新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水に帰せしめることはできないと考えているがことありまして、その後、「既に同工場に対し、口頭をもって、(イ)直接不知火海に放出していた

織田肇

1991-11-20 第122回国会 参議院 環境特別委員会 第2号

それによりますと、熊本水俣病は新日本窒素水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物原因、こういうふうに厚生省は断定をしております。また、新潟水俣病は、昭和電工鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物を含む排水中毒発生の基盤と、これは科学技術庁が公害病として公式認定をされているわけでございます。  

西岡瑠璃子

1990-06-05 第118回国会 衆議院 環境委員会 第6号

厚生大臣になってわかったのは、水俣病が新日本窒素から排出された有機水銀であるとの結果が出ているにもかかわらず極秘にされていたことである。私の公害病認定は明治以来続いた工業優先思想を根底から覆す決断だっただけに、さまざまな場面で体を張らざるを得なかった。人間の心が濁れば空気や水はあっという間に汚れてしまう。他人を犠牲にしてまで己れの利潤を追求する 心が環境を汚し、人の命を平気で犠牲にする。」

馬場昇

1990-06-05 第118回国会 衆議院 環境委員会 第6号

例えば、新日本窒素がつくっておりました、アセトアルデヒド工場発生した有機水銀中毒を解明するという論文がもう既に昭和五年にスイスで出ております。昭和十二年にはドイツでアセトアルデヒド工程水俣工程と同じですが、そういうところで有機水銀中毒発生したという報告も出ておるわけでございます。

馬場昇

1987-05-15 第108回国会 衆議院 環境委員会 第1号

昭和二十七年に水俣市の漁協が熊本県の水産課に対しまして、どうもチッソから出ておる排水がおかしいと思う、だから排水調査をしてください、また水俣湾内調査をしてくださいという依頼が二十六年にあったのですけれども、その年は台風があったものですから、二十七年に熊本県の水産課の三好という技師が調査に行って、昭和二十七年の八月二十七日に「新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水調査」という復命書を出しておるわけでございます

馬場昇

1987-05-15 第108回国会 衆議院 環境委員会 第1号

なお、通産省は三十四年十一月の食品衛生調査会の答申が出ました後、十一月十日付でございますが、当時の軽工業局長名で、当時の新日本窒素肥料株式会社社長あてに「かねてから、排水路の一部の廃止等種々の対策を講ぜられているところであるが、水俣病が現地において極めて深刻な問題を惹起している状況にはまことに同情すべきものがあるので、この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分に協力して可及的速

緒方謙二郎

1979-03-02 第87回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第4号

このころから、終戦直後ですよ、もうあの水俣湾でタコとかタイとかエビとかイワシがとれなくなったと言われておるのですけれども、そういう排水をたれ流しながら、昭和二十八年ごろといいますと、これはもう新日本窒素化学工業界日本トップクラスに成長しておるわけですが、ちょうどそのトップクラスになったころ、ネコ踊り病という奇病発生いたしました。

馬場昇

1978-05-31 第84回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第15号

皆さんは炉の問題については安全を非常に強調されますけれども、私は率直に言って一たび事故が起きたらいわゆる日本窒素水俣における事態を連想するのですよ。会社もつぶれてしまうけれども被害者も救い場所のないような状態が出てくる。結局は会社はめんどうを見切れないので国だとか自治体が世話しなければいかぬというような状態を安易な形ですべきじゃない。

石野久男

1978-02-16 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

たとえば興銀を例にとりますと、あの江頭という社長——興銀チッソ関係はもう御存じと思いますけれども、新日本窒素肥料というて草創の時期からのつき合いなんですよ。ものすごく景気がよかった。ものすごく興銀ももうけたと思うのですけれども、江頭さんという社長さんは三十九年から六年半あそこの社長をなさっておって、この人は興銀から行かれて、興銀の常務でした。

馬場昇

1974-03-28 第72回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第9号

この浜口教授はまた、当時の日本窒素肥料が必死になって水俣病原因について有機水銀説を否定いたしておりました当時、つまり昭和三十六年の六月に、新日窒水俣工場技術部の上妻、鶴田両氏それから新日窒中央研究所の川崎氏らとともに、「海水中の全水銀量」という論文日本化学雑誌に発表されたわけであります。もちろんこの論文有機水銀説を否定する立場のものでありました。

瀬崎博義

1973-06-27 第71回国会 衆議院 社会労働委員会地方行政委員会大蔵委員会公害対策並びに環境保全特別委員会物価問題等に関する特別委員会連合審査会 第1号

岡本委員 チッソは、これは四十三年に公害病認定されて、そして日本窒素から出た水によってこうなっているのだという原因がはっきりしておる。そうすると、公害認定をして、そうして保険で給付するならば、今度は政府が先に、まあ政府管掌でありますから、政府立てかえ払いをしている。そうならば、政府チッソに対して、立てかえ払いした分だけは要求するのがあたりまえじゃありませんか。大臣いかがですか。

岡本富夫

1972-05-19 第68回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第18号

○船後政府委員 正確な日時は忘れましたが、水俣湾における水俣病発生は、日本窒素アセトアルデヒド製造過程から発生する有機水銀の長年にわたる蓄積というものが、湾内魚介類に蓄積され、それが経口摂取されてなったということでございますので、かなりの年月をかけて蓄積されたものでございます。

船後正道

1970-12-17 第64回国会 参議院 法務委員会 第4号

しかし、もし気のきいた捜査官がいなくって、現実被害者が出たということになれば、新日本窒素は、これはかりにこの法律案が十数年前に成立したと仮定しても起訴できなかったんじゃないかと思うのでございます。しかし、昭和電工は違います。昭和電工はこれは二番目の事件でございますので、この場合には少なくとも危険を生ぜしめるおそれがあった、危険を生ぜしめていたとして起訴できたんであろうと感ずるわけであります。

戒能通孝

1970-12-17 第64回国会 参議院 法務委員会 第4号

塩出啓典君 じゃ、この問題について、具体的な例で最後にお聞きしたいのですが、これは先ほど小林委員のほうから水俣病の例が出ましたけれども、水俣病の場合は、日本窒素有機水銀を出しておったと、けれども、そういうものがそれほどの、人体にあの悲惨な水俣病のような結果をもたらすということは、当時の技術としては——現在ではそういうことはわかりますけれども、最初はわからなかったと思うのですね。

塩出啓典

1970-11-27 第64回国会 参議院 本会議 第3号

しかも、民法制定当時には予想をもし得なかった公害がわれわれ人類を危機にさらし、現実にイタイイタイ病、水俣病をはじめとする悲惨な死者を出す社会的変動が起きているのに、法律思想は変えられないという理由をたてに、企業をかばう神経は、あの水俣病の場合を例にとってみても、一昨年秋、原因日本窒素工場排水にあるという理由公害病として国が認定したにもかかわらず、会社側は、第一に因果関係はわからないと言ったり

原田立

1970-10-07 第63回国会 衆議院 産業公害対策特別委員会 第22号

明らかに新日本窒素被害を与えた。そこに公害患者が出た。ところがこの救済の問題になると、救済法律では、公害発生企業が二分の一負担で済むということになっておる。どう考えたって、救済法費用負担というのも企業側が全額持つべきだと私は思うのですが、ふしぎでならぬので、この点どういうふうにお考えになりますか。

寺前巖