2017-04-05 第193回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号
私の記憶では、かつては住友化学とか、でっかい会社が、日本窒素とか、肥料をつくっていたはずなんです。そういうところがやめていったんですよ。大きな原材料だけで、小まめな対応は小まめな、そこそこの、中ぐらいの企業がつくったらいいんじゃないですかといって、まさに見えざる手が動いてそうなっていった気がするんですよ。 片方で多過ぎるのはいけないと言って、片方で、例えば肥料が四社になったらどうするんですか。
私の記憶では、かつては住友化学とか、でっかい会社が、日本窒素とか、肥料をつくっていたはずなんです。そういうところがやめていったんですよ。大きな原材料だけで、小まめな対応は小まめな、そこそこの、中ぐらいの企業がつくったらいいんじゃないですかといって、まさに見えざる手が動いてそうなっていった気がするんですよ。 片方で多過ぎるのはいけないと言って、片方で、例えば肥料が四社になったらどうするんですか。
原因は、新日本窒素肥料が海に廃棄した廃液中のメチル水銀。魚介類で生体濃縮され、これを食べたことにより起こった。被害の拡大を防ぐ機会は何度もありました。 ざっくり振り返ります。一九五三年頃から猫が死に至る奇病が相次ぐようになった。三年後、五六年五月、原因不明の奇病が人間に対して多発しているという報告が病院から水俣の保健所に入った。これが水俣病の公式発見とも言われていますよね。
ただ、やっぱり環境問題の一つの教訓というのは、例えば水俣病なんかだって、これ、今ではもうチッソが、当時の名前でいう新日本窒素肥料という会社が出したまさにメチル水銀が原因で多くの人たちが被害を受けたということは明らかなわけですけれども、途中の中ではいろんな説があったわけですよね。それこそ風土病じゃないかとか、若しくは旧海軍が投棄した爆薬じゃないかとかいろんな説があったわけですけど。
当時、新日本窒素肥料の水俣工場からメチル水銀を含む工業排水が流されて、そのメチル水銀を蓄積した八代海の魚介類を摂取した沿岸部の住民が主に被害を受けました。聴力とか視覚障害、言語障害、手足の震え、しびれ、運動失調といった症状がありました。 これは、四〇年代の初めごろから発生してきたんですけれども、五六年に有機水銀中毒と公式認定されるまで、原因不明の奇病というふうに呼ばれていました。
例えば水俣病の例なんかを見ても、水俣病というのは早い段階からチッソ、当時の新日本窒素肥料ですよね、そこの排水に含まれる水銀が原因じゃないかという指摘は早くからあったんだけれども、一方で、同時に、例えば風土病じゃないかとか、若しくは旧海軍が投棄した爆薬が原因じゃないかとかいろんな説があって、結局国がチッソの排出が原因だというのを認めたのは、もう公式発見から、病気が公式に発見されてから十二年もたってからであって
湧水町の吉松区の洪水について、流下能力向上のために問題になっている狭窄部、阿波井堰ですが、ここの点について聞きますと、水利権は発電目的で日本窒素に設定をされている。この堰の建設当時、水利権に関して窒素の肥料工場を地元に建設するということを条件に契約が締結をされた。そういう前提で国は水利権を設定したんだけれども、その条件が今日まで守られないで来ているというお話を伺いました。
○政府参考人(門松武君) 御指摘の水利権でございますが、大正六年に窒素肥料の製造のための発電ということで、日本窒素肥料株式会社が、鹿児島県知事、このころ川内川の管理者は鹿児島県知事でございましたので、その知事の方にそういう目的で申請し、許可が出たものでございます。その後、昭和四十二年の更新時に目的をただ単に水力発電ということに変えてございます。 以上でございます。
昭和三十四年十月に新日本窒素肥料株式会社から、水俣工場における塩化ビニール樹脂及びアセトアルデヒド製造用水銀使用量について報告があったものと承知をいたしております。
新日本窒素と言っておりましたが、あのアセトアルデヒドの生産を始めたのは昭和七年です。そのとき二百十トンで生産を始めておるわけでございますが、昭和十年代にもう既に魚介類に異変が起こっているのです。昭和十六年、太平洋戦争が始まったときにもう人間の被害が出たという記録もあります。昭和二十年代になりましたら、水俣湾周辺の魚介類が腐って悪臭を放ち始めております。
それで、その文書には、水俣病の「原因といわれている魚介類中の有毒物質を有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑点があり、従って、一概に水俣病の原因を新日本窒素肥料株式会社水俣工場の排水に帰せしめることはできない」と記載があると聞いているのですが、それは事実でしょうか。 〔鈴木(恒)委員長代理退席、細田委員長 代理着席〕
○織田説明員 その文書の内容は、申し上げますと、「当省としてはこ当省、通産省のことでございますが、「現在までのところその原因といわれている魚介類中の有毒物質を有機水銀化合物と考えるには、なお多くの疑点があり、従って、一概に水俣病の原因を新日本窒素肥料株式会社水俣工場の排水に帰せしめることはできないと考えているがことありまして、その後、「既に同工場に対し、口頭をもって、(イ)直接不知火海に放出していた
それによりますと、熊本水俣病は新日本窒素水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が原因、こういうふうに厚生省は断定をしております。また、新潟水俣病は、昭和電工鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物を含む排水が中毒発生の基盤と、これは科学技術庁が公害病として公式認定をされているわけでございます。
この細川報告書というのは、細川さんというのは、新日本窒素の水俣工場附属病院の院長さんでした細川一博士でございます。この人が昭和三十一年に、原因不明の中枢神経の患者が水俣で多発しておるということを当時の水俣の保健所に昭和三十一年五月一日に報告された。
「厚生大臣になってわかったのは、水俣病が新日本窒素から排出された有機水銀であるとの結果が出ているにもかかわらず極秘にされていたことである。私の公害病認定は明治以来続いた工業優先の思想を根底から覆す決断だっただけに、さまざまな場面で体を張らざるを得なかった。人間の心が濁れば空気や水はあっという間に汚れてしまう。他人を犠牲にしてまで己れの利潤を追求する 心が環境を汚し、人の命を平気で犠牲にする。」
例えば、新日本窒素がつくっておりました、アセトアルデヒド工場に発生した有機水銀の中毒を解明するという論文がもう既に昭和五年にスイスで出ております。昭和十二年にはドイツでアセトアルデヒドの工程、水俣の工程と同じですが、そういうところで有機水銀の中毒が発生したという報告も出ておるわけでございます。
昭和二十七年に水俣市の漁協が熊本県の水産課に対しまして、どうもチッソから出ておる排水がおかしいと思う、だから排水の調査をしてください、また水俣湾内の調査をしてくださいという依頼が二十六年にあったのですけれども、その年は台風があったものですから、二十七年に熊本県の水産課の三好という技師が調査に行って、昭和二十七年の八月二十七日に「新日本窒素肥料株式会社水俣工場排水調査」という復命書を出しておるわけでございます
なお、通産省は三十四年十一月の食品衛生調査会の答申が出ました後、十一月十日付でございますが、当時の軽工業局長名で、当時の新日本窒素肥料株式会社の社長あてに「かねてから、排水路の一部の廃止等種々の対策を講ぜられているところであるが、水俣病が現地において極めて深刻な問題を惹起している状況にはまことに同情すべきものがあるので、この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分に協力して可及的速
このころから、終戦直後ですよ、もうあの水俣湾でタコとかタイとかエビとかイワシがとれなくなったと言われておるのですけれども、そういう排水をたれ流しながら、昭和二十八年ごろといいますと、これはもう新日本窒素は化学工業界で日本のトップクラスに成長しておるわけですが、ちょうどそのトップクラスになったころ、ネコ踊り病という奇病が発生いたしました。
その後に政府の統一見解が発表されまして、そして新日本窒素の排水の中の有機水銀が原因だというあの統一見解が発表されたことを私本当にまざまざといま思い出す次第でございます。 それで、いま馬場委員がおっしゃったとおりに、非常に根が深い、幅が広い問題である。
皆さんは炉の問題については安全を非常に強調されますけれども、私は率直に言って一たび事故が起きたらいわゆる日本窒素の水俣における事態を連想するのですよ。会社もつぶれてしまうけれども被害者も救い場所のないような状態が出てくる。結局は会社はめんどうを見切れないので国だとか自治体が世話しなければいかぬというような状態を安易な形ですべきじゃない。
たとえば興銀を例にとりますと、あの江頭という社長は——興銀とチッソの関係はもう御存じと思いますけれども、新日本窒素肥料というて草創の時期からのつき合いなんですよ。ものすごく景気がよかった。ものすごく興銀ももうけたと思うのですけれども、江頭さんという社長さんは三十九年から六年半あそこの社長をなさっておって、この人は興銀から行かれて、興銀の常務でした。
この浜口教授はまた、当時の日本窒素肥料が必死になって水俣病の原因について有機水銀説を否定いたしておりました当時、つまり昭和三十六年の六月に、新日窒の水俣工場技術部の上妻、鶴田両氏それから新日窒中央研究所の川崎氏らとともに、「海水中の全水銀量」という論文を日本化学雑誌に発表されたわけであります。もちろんこの論文は有機水銀説を否定する立場のものでありました。
○岡本委員 チッソは、これは四十三年に公害病に認定されて、そして日本窒素から出た水によってこうなっているのだという原因がはっきりしておる。そうすると、公害の認定をして、そうして保険で給付するならば、今度は政府が先に、まあ政府管掌でありますから、政府が立てかえ払いをしている。そうならば、政府がチッソに対して、立てかえ払いした分だけは要求するのがあたりまえじゃありませんか。大臣いかがですか。
○船後政府委員 正確な日時は忘れましたが、水俣湾における水俣病の発生は、日本窒素のアセトアルデヒド製造過程から発生する有機水銀の長年にわたる蓄積というものが、湾内の魚介類に蓄積され、それが経口摂取されてなったということでございますので、かなりの年月をかけて蓄積されたものでございます。
しかし、もし気のきいた捜査官がいなくって、現実に被害者が出たということになれば、新日本窒素は、これはかりにこの法律案が十数年前に成立したと仮定しても起訴できなかったんじゃないかと思うのでございます。しかし、昭和電工は違います。昭和電工はこれは二番目の事件でございますので、この場合には少なくとも危険を生ぜしめるおそれがあった、危険を生ぜしめていたとして起訴できたんであろうと感ずるわけであります。
それともう一つは、メチル水銀についてはこの法案が適用されるのだという、そういう話ですけれども、もしこの公害罪の法案が十年前からあったと考えた場合に、あの水俣病において新日本窒素が処罰されるのかどうか。
○塩出啓典君 じゃ、この問題について、具体的な例で最後にお聞きしたいのですが、これは先ほど小林委員のほうから水俣病の例が出ましたけれども、水俣病の場合は、日本窒素は有機水銀を出しておったと、けれども、そういうものがそれほどの、人体にあの悲惨な水俣病のような結果をもたらすということは、当時の技術としては——現在ではそういうことはわかりますけれども、最初はわからなかったと思うのですね。
しかも、民法制定当時には予想をもし得なかった公害がわれわれ人類を危機にさらし、現実にイタイイタイ病、水俣病をはじめとする悲惨な死者を出す社会的変動が起きているのに、法律の思想は変えられないという理由をたてに、企業をかばう神経は、あの水俣病の場合を例にとってみても、一昨年秋、原因は日本窒素の工場排水にあるという理由で公害病として国が認定したにもかかわらず、会社側は、第一に因果関係はわからないと言ったり
明らかに新日本窒素が被害を与えた。そこに公害患者が出た。ところがこの救済の問題になると、救済の法律では、公害発生企業が二分の一負担で済むということになっておる。どう考えたって、救済法の費用負担というのも企業側が全額持つべきだと私は思うのですが、ふしぎでならぬので、この点どういうふうにお考えになりますか。